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ルネサンス期の壁画の技法について [世界]

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

モナ・リザ

これをご存知ない方はいないでしょう?

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観るものを魅了するルネサンス期における壁画

フレスコとは?

フレスコは、西洋の代表的な壁画の技法です。

イタリア語で「新鮮な」を意味する言葉ですから、漆喰(しっくい)が乾く前に新鮮なうちに描くものです。

乾いた気候のイタリアにマッチした技法ともいえます。 上塗りの漆喰が生乾きの状態に水を含んだ顔料で描くと、絵が壁と一体化しますから、独特の世界が広がります。

水彩画のような柔らかな光と、透明感あふれるノスタルジックな画面をかいまみることができるのが魅力です。

フレスコ黄金期は、リネサンス期の14~16世紀です。

 

代表的なフレスコ画

ミケランジェロの作品

システィーナ礼拝堂の「天地創造」

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上塗りの漆喰が生乾きの状態が1日ですから、毎日その日に描く分だけ漆喰を塗っていたのです。

乾いてからの仕上がりの色調が変わってきますから、かなり骨の折れる作業ですが、それゆえ完成したときの感動は計り知れないものでしょう。

1日分の仕事量はジョルナータと呼ばれました。1日をイタリア語でジョルノといいますから、そう呼ばれていました。

壁画が完成したものでも、ジョルナータの境目を見れば、どういう順序で何日かけて描いたのか分かるのです。

新鮮なうちに描くためには、当然下書きは必要になります。

顔料はシノビアやカルトーネなどが主でした。

 

セッコとは?

乾いた漆喰の上に描く技法には、セッコがあります。 イタリア語で「乾いた」という意味です。

こちらは、フレスコよりも手軽で、フレスコと併用したり、セッコ技法だけで行われたのですが、長い年月を経た場合に絵の具が壁から剥がれてしまうことがあります。

有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』の画面が傷んでいるのは、時間をかけて描きたかったレオナルドが、ある種テンペラによる独自のセッコ技法を取り入れたからです。

 

テンペラとは?

テンペラとは、イタリア語の「テンペラーレ」からきたもので、「混ぜ合わせる」という意味です。

テンペラ画は、卵の黄身と白身を混ぜたり、卵&油を混ぜる方法などありますが、現在では顔料と生卵を混ぜた技法をテンペラ画といっています。

乾きが早い、色彩鮮やかな特徴があります。

 

代表的な「テンペラ画」

イタリアのサンドロ・ボッティチェリの作品

「ヴィーナスの誕生」

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ピサの斜塔の秘密 [世界]

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イタリアに存在する、ピサの斜塔は有名ですよね。

ピサ斜塔といえるほど、条件反射で答えたくなるものですが。。。

ピサの大聖堂(ドゥオモ)の鐘楼(しゅろう)として1173年に着工されたものです。

かつてピサでは、戦争や貿易で得た富で、聖母マリアにささげるべき大聖堂の建設に乗り出したのです。

しかし、鐘楼は工事途中で傾きはじめます。地盤が軟弱かつ、土台の深さが僅か3メートルですから、塔の重さを支えきれず傾いてきたのです。

工事はなんと、200年間も費やされたといいます。(中断2回含む)

予定された100メートルの塔には及ばず、結局55メートルとなりました。

ピサの人たちは、傾き始めたころから現在まで様々な工夫をしていました。

塔の上部の積み石の重さを調整をして、傾きを減らす努力をしてきました。そのため、傾きが多少改善されたかのように反り返ってみえます。

さらに、振動は危険ですから、鐘を鳴らさないようにしてあります。

鐘楼として建築されたものの、残念ながらその役目は果たせなかったのです。

それでも、有名な観光名所となり、世界的な建築物として大きな財産を得たともといえます。

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ピサの大聖堂内部には、多くのモザイク画、イスラム様式、古代ローマの建築技術などが取り入れられています。

アリストテレスの説をくつがえした、ガリレオ ・ガリレイは、大きな重い鉄球を高い場所から落下させ、重さに関係なく、物質は同じ速度で落ちることを証明しました。→「落下の法則」

このエピソードの舞台がピサの塔です。

 

 

 

 

 

 

 

 


恐竜州立自然公園 [世界]

 

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快晴の空のもとでは、明るい感じがする渓谷ですが、一歩この地に踏み込めば、息をのむような地層が連なるといいます。

ここは、カナダの南西部にレッド・デイアー川の渓谷で、荒れ果ててものさびしい印象があるようです。

バッドランドと呼ばれ、不毛の地となっています。

今となっては、土地がやせて作物が育たないようですが、恐竜がいた時代にはもちろん植物も生い茂っていたことでしょう。

恐竜の化石が発掘されるのは、地下深い場所がほとんどですが、、

ここはそれとは異なるのが 氷河が溶けて地層が侵食されて出来たものですから、地表もあらわで完全に近い状態の恐竜の骨格もあるといいます。

恐竜の化石の宝庫ともいえる場所なのです。

おおよそ、7500年前の地層がむき出しになっているとのことで、恐竜好きにはたまらない?といった場所なのかもしれません。

1884年に、白亜紀の恐竜の化石も発掘されていて、その後も現在までにトリケラトプスやラムベオサウルスなどの恐竜の化石が60種前後見つかっているといいます。

 

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アフリカ・サバンナ地帯にあるセレンゲティ国立公園 [世界]

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サバンナ地帯は、砂漠と熱帯雨林の中間に位置する草原地帯です。

その中心にセレンゲティ国立公園があります。面積1万763平方キロメートルという広大な草原が広がっています。

グレート・リフト・バレー と呼ばれる大地の裂け目にあります。

アフリカ東部の南北6000キロに渡るこの地形は、地下の熱によって押し上げられた大地が、再び上昇してきた熱の流れで2つの方向に引き裂かれて、さらに中央部が陥没するという構造によって生まれたものです。

その後、長い年月を経て巨大な大地の裂けめに水がたまり、多くの湖、沼などが出来上がったのです。

水辺の周りには、草が生い茂り、ごく自然に動物が集まるようになりました。

300万頭もの大型動物が暮らしているのです。

哺乳類だけでも、13o種以上、鳥類350種以上ですから、東アフリカに棲息する動物のほとんどを網羅しています。

タンザニアが乾季に入る6月には、公園内の動物の大移動が始まります。

タンザニアの雨季は2回ほどありますが、3月~5月が大雨季、11月~12月が小雨季ですから、大雨季を終えたあたりに、草食動物の大移動というわけです。

圧倒的で有名なものが、150万頭にも及ぶオグロヌーの大移動です。

 

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その大移動は、オグロヌーにとって過酷な試練ともいえるもので、移動中にライオンやジャッカル、ハイエナ、ワニなどの餌食になる危険をはらんでいるからです。

そのため、驚くことに25万頭ものヌーが命を落とすことになります。弱肉強食の世界です!

 

 

 

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世界最大級の草食・・・・がいたんですよね [世界]

 

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マメンチサウルスという名の恐竜は、ご存知ですか?

何となく可愛らしい名前ですよね。

中央アジアのモンゴルで化石が発見された草食動物ではなく、草食恐竜です。

全長22メートルもの巨体で、首だけでも10メートルぐらいはあったようです。

体全体の半分以上は、首ですよ~!キリンも驚いちゃいますね。。

キリン同様に、長い首を自由自在に動かして高いところに生えている草を食べて暮らしていたんだとか。

今から1億5000万年前、地球には沢山の恐竜が暮らしていました。

恐竜=巨大なイメージがありますが、実は、子供の小さな手にのるぐらいの小型の恐竜もいたのです。

ミニサイズ・小型恐竜は、巨大な恐竜の足元をすばしこく走りまわっていたと推測されます。

世界で最も小さな恐竜は、全長が70cmで、体重は1kgで小型犬のしかもトイプードルと同じぐらいの重さしかなかったといいます。

発見されたのは、北アメリカです。その名は、フリタデス・ハーガロムス

植物や昆虫などを食べていたんでしょうね、、

恐竜は絶滅していますから、頼りになるのは、もはや化石のみです。

 

首長竜って?

世界の海には恐竜に似ている仲間の首長竜がいました。

1968年に、日本ではじめて化石が発見された首長竜は、発見者が鈴木直(すずきただし)さんにちなんで、

「フタバスズキリュウ」という名前がつけられました。

恐竜が進化したら何になる?

鳥類はもともとは、恐竜が進化したと考えられています。

1861年発見された鳥の祖先と言われる始祖鳥(しそちょう)の化石は、羽があり鳥ソックリなのです。

ご存知のステゴザウルスは、背中に剣のような鋭い角といいますか、板がある剣竜の仲間です。

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背中の突起した板は、敵から身を守る役割のほか、敵を威嚇したり、体温調節のためと考えられています。

 

なぜ?絶滅したの?

恐竜がなぜ絶滅したのか、有力とされるのは隕石落下説です。

ある日、隕石が地球に落ちて爆発し、地球の温度が上昇し、その後、爆発により出来た細かなちりが地球を覆います。

そして、太陽の光と熱が遮られ、急速に温度が下がり恐竜が生きられる環境でないため絶滅したという説です。

恐竜の化石は、骨のみならず、歩いた足跡も発見されています。

サウロロフスの足跡は、子供がすっぽり入る大きさですから、相当大きいですよね!

 

 

 

 

 

 

 


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モヘンジョダロの遺跡 [世界]

 

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モヘンジョダロが発見されたのは1922年です。

古代インド文明は、中央アジアから南下してきたアーリア人によって始まったとされていましたが、、

モヘンジョダロの発掘で、それよりも前に大規模な都市文明があったことが証明されました。

これこそ、古代インド史をくつがえす大発見です!

※アーリア人・・もともとは、南ロシア地域で牧畜を営んでいた遊牧民族のようです。

モヘンジョダロの発掘で明らかにされたのは、念密な都市計画に基づいて築かれた整然とした街のつくりです。

城砦(じょうさい)にとり囲まれた地区と、市街地区からなり、レンガで舗装されている道路が基盤の目のように張り巡らされているのです。

各家庭での、上水、下水施設も備わっていたため、衛生環境も整った都市文明が存在していたということになります。

遺跡からは、多数の印章も発見されていて、動物の彫刻のような絵の上に文字が刻まれているのです。

この印章は、当時商人が取引する際に使用していたようです。

文字の内容は定かではありませんが、インダス文明時代には、既に文字が使われていたということですから、予想以上に進んだ文明だったんですね!

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オーストラリア・アボリジニのなぞにせまる [世界]

 

いつ何処からどうやってきたの?

 

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アボリジニの神話には、「祖先は海を渡りやってきたのだ」と語られています。

神話ですから、それをそのまま信じる人は・・・しかし本当らしいのです。

この大陸で知られている最も古い人類の遺跡は、約5万年前のものです。このころは氷河期時代で最も寒さが厳しく、地球上の水は凍りつき、海面が現在よりも100メートル以上は低下していたといいます。

ですから、オーストラリアとニューギニアはつながっていて、アジア大陸でも大陸棚が露出して、2つの陸地の距離が接近していました。

この時期を利用してアボリジニの祖先はイカダを用いて、100キロぐらいの海峡を渡ったらしいのです。

人類初となる航海者というわけですが、動物も人と一緒についてきたようです。

オーストラリアの動物はコアラやカンガルーのような有袋類(ゆうたいるい)を主とした、特殊な動物です。

哺乳類の進化からみれば、有袋類は古い系統のものですから、胎盤のある真獣類(しんじゅうるい)と競合がおこれば、大抵は負けて滅びる図式となっています。

そうならなかった理由は、海があってアジア大陸からの陸上動物が入ってこれなかったからです。(ねずみ、コウモリ、犬)などは例外です。

結局、移住にはアボリジニの祖先が関与していたというのが考えられます。

 

 

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アボリジニはどういう人だったの?

アボリジニは、モンゴロイド、ネグロイド、コーカソイドと並ぶ4大人種の一つであるオーストラロイドに分類されています。

長頭で、顔は上下に短くて顔幅が広く、額が狭くて後退しています。

眉上の隆起が発達して、鼻根と眼が窪んでいて、鼻幅は広く口も大きくて唇が厚い、歯が大きい、皮膚は褐色で、髪や体毛が多く、毛の色は褐色~黒です。

中央砂漠では、幼児期に金髪が生じることがあります。

身体は細く、特に手足が長いという特徴があげられます。

一般的な特徴ですが、個人差や地域差で、その形成にはいくつかの系統がかかわっていると考えられています。

オーストラリアの人の化石で、最も古いのは3万年前のマンゴ湖のものです。

頭骨や体つきが「きゃしゃ」ですから、現代人のような特徴があるのが驚きです!

これは、東アジアからきたもののようです。

ホモ・エレクタス、馬覇、丁村などのネアンデルタール型→新人への進化過程のなかで、形質が徐々に「きゃしゃ」になっていったのです。

東南アジアでも、この系統に属するニア洞窟やワジャクの化石人が知られています。

一方、ヴィランドラ湖で発見された化石人は、頭が大きく、骨太、眉上隆起が著しい特徴をもつ筋肉質体型です。

オーストラリア大陸で、きゃしゃな体型と筋肉質体型の2つの系統が共存し、その後、混血して現代アボリジニになったという考えが推測できます。

アボリジニは5万年以上にわたり、オーストラリア大陸の自然とともに、生活様式をあまり変えず生き続 けている人々なのです。

 

 


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雲海がただよう独特の景観美で有名な黄山 [世界]

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 黄山(こうざん)は、山水画で有名な景観美で、多くの画家を魅了した山です。

数多くの作品が残された黄山の総面積は、おおよそ1200平方キロメートルあります。

黄山は、古くは天帝が住む仙都と伝えられていました。不老不死の仙薬を構成して、仙人となった伝説上の皇帝・黄帝にちなんで、唐王朝第6代皇帝の玄宋によってその名がつけられました。

断崖絶壁で人が立ち入ることが困難な箇所も多く神秘的な印象もありますから、幻想的な雲海も含め、人々を魅了し続けているといいます。

雲海が見られるのは、黄山の地理的要因に関係しています。

東シナ海から吹く暖かく湿った風が、北西からの冷たい風や絶壁にぶつかり上昇→冷却で雲ができる仕組みになっています。降水量も多く、年間2400ミリ以上の多雨地域があるようです。

ですから、1年のうち250日間は霧が 発生し雲海となるのです。

黄山に魅了された画家たちによって発展してきた山水画発祥の地でもあります。

黄山岸壁の松は、黄山松と呼ばれるものです。太く短い松葉はこの地独特の形をしています。

 

黄山の西側にには、12メートル,重さ360トンもの飛来石(ひらいせき)があります。なぜこの場所に、この飛来石があるのかは未だに謎ですが、、

「神が捨てた石が天空から落ちてきた」、「猿の王である「孫悟空が落としたのだ」などという伝説が残されています。

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有名なグランド・キャニオンの神秘 [世界]

 

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コロラド州の侵食作用によりつくり出されたというグランド・キャニオンは有名ですよね。

全体の面積が4930平方キロメートルもあり、東西の長さが450キロメートル、深さ1700メートルですから、ダイナミックな峡谷です。

2万5000年ほど前から人が住み着いていたとかんがえられています。

 

古い時代の地層のわけは?

グランド・キャニオンの地層は、何重にも重なっていますが、最下層は驚くことに、20億年前の先カンブリア時代に形成さtれたもののようです。

ここまで古い地層が惜しげもなく?露出されているのはグランド・キャニオンぐらいでしょう。

重なった地層は、古い時代の古生代の地層ばかりで、中生代や新生代の地層は見当たらないのです。

古生代よりも新しい時代の層は、コロラド川の浸食作用で、すべて削りとられたからです。、

 

グランド・キャニオンに棲息する動物や植物は?

植物は?動物はいるの?という雰囲気のグランド・キャニオンですが、、、

意外にも動物、植物の宝庫なのです。動物は5000種ほど、植物は1000種はあるということですから、棲みやすい環境なのでしょうか?

標高が1700メートルもありますから、いくつもの気候があり、動植物はその適した気候の中で棲息していけるのです。

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巨大な角のあるビックボーンシープや、アメリカの国鳥であるハクトウワシ、アメリカ先住民の神とされるワタリガラスなどほかにも様々な動物や多種多様な植物が存在しています。

アメリカの先住民ポピ族は、グランド・キャニオンを「神なる大地の裂け目」と考えています。

人類が誕生した聖地ともみなしています!

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ロマン溢れるインドのタージ・マハルの秘密 [世界]

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ヤムナー川のほとりにある、素敵な響きのタージ・マハルはご存知かと思います。

ムカル帝国は1526年に建国された、インド最後のイスラム王国で、 ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンが、世界各地から職人や貴石を集めて、最愛の妻であるムムターズ・マハルのために建てた霊廟(れいびょう)です。

※霊廟・・・先祖や偉人の霊を祭った宮

 

このタージ・マハル建築に費やされた歳月が22年といいますから驚きです。

中心が泉となっていて、水面に映し出される白亜の廟は輝く美しさで、タージ・マハルの象徴ともいえる光景です。

正面奥には、イスラム教の礼拝堂である、葬祭モスクや墓廟、葬祭モスクと左右対称に建てられた迎賓館もあります。

タージ・マハルは、ペルシア発祥のチャハルバーグという庭園様式をお手本として配されたので、そのシンメトリーの美しさも見逃せません。

タージ・マハル1階には、ムムターズ・マハルの棺が置かれていて、その奥に寄り添うようにシャー・ジャハーンの棺がありますが、、、

実は、これはダミーですから、本物の棺は地下の玄室に置かれているのです。

近年のめざましいインドの発展にともなう大気汚染の影響によるタージ・マハル損傷が懸念されていますから、遺産を保護する対策が求められているようです!

 

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