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昔の日本では塩がどう運ばれていたか・・・ [日本]

 

現代では海水から塩をつくってトラックなど車で運搬していますが、昔山に住む人はどうやって海から塩を運んだのでしょうか?

高血圧には減塩ともいわれているものの、塩は体内の水分量の調整や血液の成分にもなっていますから、、長期間塩も摂取しなければ体調も悪くなるものです。

摂り過ぎはもちろん体に毒ですが、必要量はありますよね!

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海沿いの町で問屋さんから預かった塩を牛の背中に乗せて山の中を歩いて届けていたようです。

山道ですからでこぼこ道や急斜面もあるでしょう・・・

道が険しいときには、牛専用のわらじがあったのです。

これは、農家の人が畑仕事の合間に手作りしたといわれています。

物を運ぶ人の安全を願うお地蔵さんを見つけて感謝することで、崖から落ちないで安全に運ぶことができたといいます。

         百体観音

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平らな道は馬に運んでもらい、でこぼこ道などは牛に運んでもらい、牛も歩けない急斜面は人が運んでいました。

 

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夜に山奥の宿にたどり着き、牛とともに宿で寝たそうです。

塩問屋さんに塩を渡し、運び賃としてお金や米をもらうというしくみです。

昔の日本では、山に住む人が木を切って川に流し、河口で塩をつくる人と物々交換をしていたという説があります。

木は重く運ぶのが大変ですから、川に流したんですね。流れてきた木は燃料として使われ、海水を煮詰めて塩をつくって木と物々交換していたようです。

山に住む人が塩を使える工夫がされていたんですね!

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インド [世界]

 

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インドの面積は日本の約8.7倍といいます。人口は約12億1000万人です。

インドの気候は地域、季節により大きく異なります。

乾季・暑季・雨季の3つに分かれていますが、ニューデリーでは暑季に40℃以上になる日もありますから暑さ対策は色々されています。

インドのサリーは1枚の布を体に巻きつける民族衣装ですが、本当に長いものは5~8mはあるといいます。

サリー語源はサンスクリット語のシャーティーからきていて、細長い布を意味しています。

様々なスタイルで体を包むように巻きつけますが、 なぜサリーを巻くのでしょうか?

インドでは、切ったり縫ったりしない布を身にまとうことが良い、という考えの宗教の教えがあります。

これがサリーが広まった理由ともいわれています。

実際サリーは、風通しも良くゆったりしているため、 暑いインドの気候には最適な衣装なのです。

男性が着ているのは、上がクルターと呼ばれるシャツで、下がパジャマーと呼ばれるズボンです。

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 これもゆったりしていて風通し抜群ですよね。

インドといえば、真っ先にカレーを思い浮かべるほど、カレーのようなスパイスを沢山使用した料理も豊富です。

辛いものを食べると体温も上昇しますから汗も出てきます。

この汗が体の熱を皮膚から逃すようにしてくれるので、カレーも暑さを凌ぐための料理なんですよね!

民族衣装や食べ物の工夫ほか、暑さ対策を兼ねたものが多いです。

 

 

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油絵の技法ほか [世界]

 

アルノルフィーニ夫妻の肖像

ヤン・ファン・エイク 1434年

油絵 ロンドン ナショナルギャラリー

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油絵は顔料を油と混ぜて板やカンヴァスに描いた技法ですが、薄く溶いた油絵具を重ねていくことで素材の持つ質感などもリアルに表現できる迫真の写実も可能です。

物質的な質感にとどまらず、室内を照らす光や空気も見事に描かれているものが多数あります。

一方、厚塗りで迫力満点の印象的な作品も多数存在しているのはご存知かと思います。

15世紀頃の顔料は、テンペラ同様に鉱物性のものが多く、メデウムとしては植物の種子から採る乾性油が使われていました。(乾性油は亜麻仁油、クルミ油、ケシ油などが用いられていました。)

サポートの役割はもっぱら板であり、表面にジェッソで滑らかな白の地塗りが施されていました。

それに線描の下絵を描いて、グラッシという薄く透明な絵の具層の重ね塗りです。

グラッシを重ねることで、深みのある独特の陰影や光との対比を表現できるようになります。

油絵は、ゆっくりと乾かせるように絵の具を画面上で混ぜたりぼかしたりすることが出来ます。

多少ミスがあっても、修正がしやすい利点があったのです。

テンペラと比較すると、写実描写により適した材料あったというわけです。

15世紀後半には、フランドルの油絵技法がイタリアにも伝えられて16世紀ヴェネツィアで油絵の新たな可能性が開発されたのです。

厚塗り(インパスト)は、フレスコにもテンペラにもない油絵特有のものでした。

厚塗りは画面修正がしやすいため下がきなしに、いきなり絵の具で描くアラ・プリマが 登場しました。

ですから、現代でも主流となる油絵特有のこの技法は、16世紀のヴェネツィア生まれということになります。

 

ラ・グルヌイエールの水浴

クロード・モネ  1869年  油絵 カンヴァス

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今日も存在するチューブ入りの絵の具と穂先が平らな筆という新しい画材は、屋外でのスケッチを可能にしています。

水面の反射像がまるで本物のような透明度を高めています。

 

 

 

 


フィヨルドを生かした・・・ [世界]

 

 

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ノルウェーの海岸線であるフィヨルドは有名ですよね。

これは何千年もかけて氷河に削られて出来た奥深い湾です。

氷河により土地が削られて、削られた土地に海水が入り込むしくみになっています。

氷河は、緯度の高い地方や高い山の万年雪が氷のかたまりとなって斜面を緩やかに流れ出したものです。

フィヨルドと多くの島々、半島が入り組んだもので非常に長い海岸線は、のばせば地球1周よりもある?といいますから驚きます。

沿岸部ではサケの養殖も行われていますから、ノルウェーサーモンは日本にも沢山輸出されていますよね。

 


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沿岸を水温が高い海流が流れているため、水質資源も豊かで最適な漁場ともなっています。

そのため、昔からタラが沢山取れることもあり、長期保存出来る干しタラ作りが盛んになったのです。

ノルウェーでは昔から寒風を生かした干しタラづくりも有名です。

1~4月に大漁のタラを寒風を利用して乾燥させる光景も見られます。

干しタラを使用したノルウェーの伝統的な料理は、「ルーテフィスク」という名の料理です。

ルーテフィスク(干鱈の灰汁煮)に、ジャガイモ、豆のマッシュを添えたものです。

ヘルシーで素朴な味わい健康的な伝統料理です。

ノルウェーは、トラウトサーモンのイメージがありますがタラを使った料理も多いです。

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日本同様、四季がはっきりしていますから、沿岸を流れる暖流の影響もあり緯度が高いわりに温暖な気候です。

北極に近い場所では、夏になれば太陽が1日沈まない白夜になります。

 

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ペルーのチチカカ湖の暮らしほか [世界]

 

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ペルーとボリビアの間にまたがる、チチカカ湖の名は聞いたことがありますよね。

チチカカ湖は、日本の富士山よりも高い場所にあります。昼と夜の寒暖の差が大きく特に夜は寒いようです。

山岳地帯にあるチチカカ湖は、朝晩の冷え込みが激しいのです。

そこで、昼間の太陽で温められた熱が残る湖の上で暮らすようになったというわけです。

陸地だと、暖まりやすい反面冷めやすく、湖の上だと暖まりにくく冷めにくいのです。

この地域に住む人々は、「トトラ」と呼ばれる植物を用いて、湖の上に浮島や住宅などをつくり住んでいます。

トトラは人間の背たけよりも大きく成長するものも多いといいます。

島民は少しずつ新しいトトラを重ねていくので、水がしみ込んで沈むことはないといわれますから、島民の知恵と工夫が役立っているのですね!

トトラが腐ってもそれを土にして肥料として役立て、最終的にはじゃがいもなどを栽培するといいますから捨てるところがないエコな生活です。

一方、ペルーの国土を南北につらぬく、アンデスの山岳地帯では、アルパカなどが飼育されています。

 

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山岳地帯特有の気温差があることから、アルパカなどの毛織物ポンチョが、寒さしのぎに欠かせない存在なのです。

布の真ん中から頭を出し入れするだけですから、着用便利で保温効果抜群だといいます。

ペルー(クスコ)の7月の最高気温と最低気温の差はなんと、20度もあるのでそれなりの身支度が必要というわけです。

 

 

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ミクロネシアの民族に関すること [世界]

 

 

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ミクロネシアといえば、マリアナ・グアム島などを原住地としてヤップ島、ペラウ諸島にも僅かですが移民が・・・・

チャモロ人が推定5万人とすれば、4万人はグアムに住んでいることになります。

チャモロの語源はといえば、スペイン語のchamorro(ぼうず頭の)からきたとする説、古チャモロ語のchamorri(酋長)に関係する説などがありますが、確定はできないです。。。

1668年に、初のチャモロ語の文法書を書いたとするスペイン人宣教師サンヴィトレスも、チャモロ語とはいわずにマリアナ語と呼んでいました。

特にグアム島のチャモロ人は、スペイン、アメリカとつづいた支配下で、その国の人たちとの混血を重ね、、、

20世紀のはじめに、既に純粋のチャモロ人は存在しなかったと報告されています。

一般には、「チャモロとカナカとスペイン系が混血した人種」 だという誤解が生じるのも、このような背景があるからだと推測されます。

一方、カナカとは、ポリネシアの言葉が源で、実はハワイ語のkanaka(人)に由来します。

kanakaはタヒチ語、サモア語、マオリ語などのように対応していますが、カナカという名は、その後西洋人によって、ハワイに限らず南洋・南海の原住民に対して無差別に用いられるようになったといいます。

チャモロ人が混血で欧化したため、ほかの種族とは区別されるようになりました。

カナカという非常にあいまいな言葉は、学問的にやめるべきだという意見が昔、日本でも一部の博士らにより提案されていたようです。

チャモロ語は、スペイン語から大量の借用語を持ちつつ、文法的にはフィリピン語の言語によく似ていています。

一部のインドネシア語派にはいります。パラオ語もインドネシア語派といっていいほどです。

ポーヌペイ州のヌクオロ語、カピンガマランギ語はポリネシア語です。

これ以外の言語を用いるメラネシア語派も存在しますから・・・ ミクロネシアにはあらゆる語派が存在しているのです。

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モザイクやステンドグラス [世界]

 

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まず、モザイクというものは、古代ローマで床を張る技法でした。

発達していく過程で、自然石などを漆喰(しっくい)やセメントで下地に接着させて図柄を完成させていたのです。

単純な繰り返しのような模様もありますが、「アレクサンダー・モザイクでは、石一つひとつの微妙な色合いを生かした陰影をつける方法で写実的な作品も生まれました。

古代ローマのキリスト教公認以降は、教会聖堂の内部は「地上における神の家」にふさわしい装飾が必要だったということです。

そのため、従来の技法を用いたモザイクで壁、天井などを仕上げたといいますが、壁の窓ガラス的存在はといいますと、、

ご存知のように、自然石⇒ステンドグラスに変更され導入されました。

ステンドグラスの光が反射したときの美しい輝きが天国を連想させるのでしょうか?

ガラスとガラスではさむ、いわゆるサンドイッチ状態の中に金箔も入れることが出来るようになったのです。

キリストの洗礼でも使われた、モザイク用の石、ガラス、陶器の四角い小片はテッセラと呼ばれます。

床に使用されるものとは異なり、壁画表面が平らでなくてもよいため、テッセラを配置する角度調整で、光の反射率をさらにアップ出来るようです。

 

キリストの洗礼 6世紀 円・モザイク 

ラヴェンナ(イタリア)

アリウス派洗礼堂

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キリストをヒゲのない若者としてあらわすのが、この時期の特色です。

 

水で下半身を包む様子がわかります。左側には多少マッチョ?ともいえる、たくましい老人の姿も観ることが出来ます。

話を戻しますと、とにかくモザイクは時を経ても色あせなしですから、ローマやラヴェンナに残る初期のキリスト教時代の教会、ビザンティン帝国の教会で盛んに取り入れられたようです。

ただ、残念なことに材料が高い&手間ひまかかる作業ということで、中世イタリアでは壁画にバトンタッチというわけです!

イタリア以外の西欧諸国ではもともと定着していませんでしたが、、、

ステンドグラスは、「着色ガラス」を意味しますが、色ガラスを鉛の枠でつなぎ窓にはめる技法です。

古くから知られる技法が脚光を浴びたのは、12世紀後半のフランスで、広大な窓のゴシック教が誕生し、磨きがかけられたといいます。

ステンドグラスの最盛期は13世紀ですが、その後もカトリック教会の窓には欠かせないものとなっています。

中には当初のステンドグラスが失われて通常のガラスになった教会もあります。

やはりステンドグラスの教会の窓のほうが神秘的ですよね。

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イスラームの断食や宗教的義務など [世界]

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イスラームでは、教徒が信じて実行する6つの信仰項目と5つの宗教的な義務があるそうです。

宗教的義務って気になりませんか?

①信仰の告白

礼拝 

③喜捨(進んで神社や僧侶、貧しい人たちに、金品を寄付すること)

断食

⑤巡礼

この5つです。断食も意味あるものです。

イスラームの断食とは?

イスラーム暦の9月、ラマダーン月の1ヶ月は、毎日飲食を立つのです。

まあ、毎日といってもですね、、日の出から日没のあいだはタバコや、一切の飲食をストップという事です。

日の出前や日没後には食事をすることができますね!

 

イスラーム暦ほか

イスラーム暦とは、預言者ムハンマド(マホメット)が、メッカからメデイナへヒュジラした年、西暦622年を紀元元年としている太陰暦です。

この第9月、ラマダーン月が断食の月とされたのは、624年のパドルの戦いで勝利に対しての感謝と、この月にはじめてマホメットが神から啓示をうけたことを記念するためだといわれています。

この断食の義務は、旅行者や病人などは断食をしなくてもよいとされる例外もあります。

近年では、都会を中心に断食をしない人たちも見られたといいますが、イランをはじめイスラームの復古的潮流の中では、いっそう5つの宗教的義務をかたくもまれ、という主張が出されています。

宗派、地域、民族によって決まりごとや作法に多少の違いはあるとしても、基本は同じと考えても良さそうです。

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額縁の存在 [世界]

 

聖母子と聖人たち

ドゥッチオ 1315年 卵テンペラ ロンドンナショナルギャラリー

金箔は、金貨を打ちのばしてつくられたものです。後光の部分が繊細な模様が刻まれています。

金色のバック、色調のコントラストが絶妙な、大変高価な個人用祭壇画です。

 

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絵の存在感に比べると、額縁は忘れがちな存在ですが、、

額縁は、補強効果だけでなく、周囲の空間から切り離して自己完結させるような大切な役目も秘めています。

額縁が見られるようになった中世後期には、絵とセットになっていました。

額縁部分も画家がデザインして、指物師が制作し、その後、下地や金箔、絵を描くという流れがあったようです。

プロの職人がつくり、板絵やカンヴァス画に後づけの現在の額縁は、ルネサンス期につくられました。

絵画を描いた作者が額縁デザインを手がけるのは、19世紀に再び見られるようになったといいます。

フリードリッヒの「山上の十字架」が典型的な例です。

家庭用祭壇とは思えぬほどの豪華で凝視してしまうという風景画です。

実際は、自然と神が共有しているかのような大変ロマン溢れる作品となっています。

画家本人がこだわったのは、伝統的な祭壇画のようなアーチ型の額縁と、キリスト教的な宗教画を漂わせたかったようです。

 

山上の十字架(テッチェン祭壇画)

カスパー・ダウィット・フリードリッヒ 1808年 油絵 カンヴァス

ドレスデン(ドイツ)  州立近現代絵画館

 

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歴史画の役割や流れ、ゲルニカ [世界]

 

キリスト追悼 

ジョット 1304~1305年 フレスコ

パトヴァ(イタリア) スクロヴェーニ礼拝

礼拝堂の壁画として描かれたものです。

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歴史画は、高度な技術を要するジャンルです。

想像力と創造力、聖書や古典の教養、巧みなデッサン力に構成力etc・・・

描く者にとっては難しいジャンルですが、観賞する者にとっては神秘的で幻想的、芸術での最高位ともいえるものです。

古代神話や聖書、聖人などをモチーフにしたものが多数あります。

文学に近いものが優位とされていた時代から、、視覚で芸術を表現できると認められるようになるきっかけがあります。

イタリア・ルネサンスの理論家アルベルティは、歴史画の制作は重要な仕事と捉え、実際に西欧美術の基盤となりました。

古代ローマの詩人であるホラティウスの「持論」の中には、『詩は絵のごとく』という有名なフレーズがあります。

人間の精神の核心に触れる、詩人や画家は同じような位置づけになっていったのです。

歴史画は、特に人の感情を揺さぶるものですから、教会や宮殿に大きな画面で描かれるのが当たり前とされていました。

それでも、17世紀には小ぶりの画面いわゆる、家庭用サイズといわれるような歴史画も描かれるようになったのです。

18世紀後半からは、歴史的事件なども描かれるようになりましたし、その後、20世紀には歴史画も存在しつつ、映画としての観賞も広まるようになりました。

 

20世紀の代表作ともいえるのが、ピカソの『ゲルニカ』 です。

苦しむ人間や牛、馬が重なりあって描かれている独特な世界です。

ピカソの絵は日記や告白的な要素を含むものでした。

「ゲルニカ」を描いている時期に、女性問題ももちあがりましたから、精神状態がよくない時期でもありました。

スペイン内戦中のゲルニカの爆撃事件と、身近な人間関係の葛藤も重なったため、身近な問題と戦争の悲劇を訴える感情がこのようなモチーフになったと考えられます。

ピカソ 「ゲルニカ」 1937年

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